先日、2人の鉄人職人に会ってきました♪
まずは1人目。
前々(実は20代の頃から)行ってみたいなと
思っていた「万国吃驚堂」(美容室)。
ここの店主で美容師のドラゴンは
数年前からの知人。
今回、髪型が気に入らなさ過ぎたのと
パーマはウチの毛質はほんっとナメてたら
かかりすぎるかかからなさすぎるから、
よほど信頼できる腕でないと頼みたくないの。
で、今回、思い切って任せてよかったー!
ただの釣りバカおぢいちゃんかと思ってたけど
この人凄いわ!(笑)
釣りバカ言うてゴメン(笑)
そして2人目。
お馴染みの芦屋ご近所の友人マドンナ。
彼女は生地バカ(笑)なくらい
本質的にいい素材を見抜く目利きが鋭い
豪腕ファッションデザイナー。
彼女の扱う品物に今月どんだけ
遣ったのやら(笑)
今回は、和紙とコットンの混紡という
珍しい素材の靴下!
特に指抜けタイプは
タイツの中にインナーで履くと、
ブーツ履いてもムレない優れもの。
抗菌性も吸湿発汗性も抜群なんだとか。
肌触りもナチュラルでいい感じ♪
普段はこんな感じですけど(笑)
ガーサス!な目利きです。
タロってデザれるカウンセラー
シバトモです
まいど
2人の職人に会って、
なんだか書きたくなった、
前々から思ってた主観を綴ってみるので、
興味のあるかただけどうぞ♡
(興味がなくても読んでくれると嬉しい♡)
仕事として何かを突き詰める職人は、
もともとそういう気質だと思っています。
凝り性のひどい版(笑)とでもいおうか。
職人気質って、
平たくいうとどこまでも自己満足を
追求する次元の人と言えると思うんだけど、
この職人気質には
クリエイタータイプと
アーティストタイプってあるなあと
個人的にですが思っています。
あと、
クリエイター気質とアーティスト気質の
両方がもともと同時に備わる人も
いるなと思っています。
いわゆる天才。
天才とは、
自分の気質をそのまま使える人。
空気を吸って吐くかの如く。
当たり前、とでもいおうか。
天才も色々あるんだけど、
岡本太郎的な天才ではないタイプの天才。
(岡本太郎は究極の自己追求型かと)
人の思いにとことん寄り添い、
かつ、自分の世界観を究極まで創り上げる人。
それで、現代の基盤を作った人。
カールラガーフェルドや
イヴ・サンローランが
天才と言われる所以は
この二つの気質を兼ね備えてるからかなと
個人的に思っています。
自己追求型天才と全く異なるのは、
創り出すものに人に寄り添う部分も
強くあるからこそ、
時期で作風が全然異なったりするところかな
なーんて生意気ですが思うのです。
(ウチの主観ですよ)
この手の天才は今、
結構いますよねー。
いい時代です♡ありがたし。
自分の創り出すものに必ず
「周りの視点」も入ってたり
人の要望に自分の世界観で応える職人は
クリエイター、
自分の創り出すものに深く集中して
「周りが見えなくなる」とか
人の要望なんて度外視で
とことん自分の世界観を追求する職人は
アーティストなんじゃないかなと。
天才はおそらく、
こんなことすら思わないと思う(笑)
職人という自覚もないと思う。
なんせ、どっちの自分も
当たり前だと思っているか、
自分と違う世界観を
知る、経験する必要がないだろうから。
クリエイターだろうが
アーティストだろうが
天才だろうが凡才だろうが
自分ではない人になろうとすると
そのせっかくの性質が発揮されにくい。
人って、
もっと平たく言えば、
生きているだけでクリエイターだと思う。
人と関わることで人生を創造するんだし。
ここを自分で自覚する責任は、
今この地球に生まれた自分に対して
あると思っている(今は)。
ないものねだりで自分を見失ってる時って
その責任を放棄してる時間帯だなと思う。
よく、
天才になりたがる人とか
仕事としてクリエイターとか
アーティストになりたがる人がいるけど、
(はいはーい!過去のアタシ!笑)
今はそうではなくても、
心がどうしても欲するなら求めてもいいし
そこを目指してもいいと今は思う。
※天才は持って生まれた特性なのでなろうとしてもなれないですよ
なんだけど、
そうではない、と感じてることを
目指すという事は、
それ相当の覚悟も行動も勇気もいる。
今まで築いた全てを捨てるくらいの
コトは必ず要求される。
ウチもデザイナーを目指した時は
全てをソコの道に費やしたし、
カウンセラーでフリーランスで
生きていこうと決めた時も、
デザイナーで食っていけなくなることも
覚悟した。
こんな、
いわゆる不安になる部分を
見ないようにして(要は都合よく)
ただの自己満足ゴリ押しで都合よく
「まだそうでない」時に
「そうである」を気取った時に、
なんちゃって風味なペラッペラの
仕上がりになってしまうし、
それだけならまだしも、
結果、全てを失う羽目になると、
自分の経験でだけど痛感する。
これって、
なんちゃってスピバカ、癒しバカと
全く同じ構図なんだわ。
アーティストがクリエイターに
憧れるとしたら、
クリエイターが生み出す結果(お金や評価)の
速さなんじゃないだろうか。
(アーティストタイプでウチが「ん?なんか違う」と思う人は少なくともみんなコレ※主観)
これはほんっとに
宝の持ち腐れだと思う。
アーティストは、
自分の表現しかできないわけで、
そこに他人の世界が介在しないからこそ
アートなわけですよ。
他人の世界が同時に介在しないのに、
そんなすぐに結果や評価でますかいな。
(すぐ出る人もいる。それはそもそも前提が違う)
誤解、困難、極貧の危険性が
つきまとう時期があるのは当たり前、
くらいに思っててちょうどいい人もいる。
あと、
お金換算や、自分の特別感を演出しようと
天才がすると、急に変な仕上がりになる。
天才ゆえ、
一部の人にはそれでも受け入れられるだろうけど
概ねは、マユツバ系に映ったり、
演出の仕方によっては、
逆に薄っぺらく映ったりするもの。
で、
この気質でお金換算や評価を得る演出を
しようとすると「独りよがり」が
発動する事が多い。
なんせ、
自分の世界観でしか生きれない
アーティスト気質なわけで、
他人が常に介在するお金や評価の
そもそもの基準もわからないんだよな。
(これがダメなのではないぞ。先をよく読め)
この手のタイプは、
「自分の世界観をわかってくれる人だけでいい」なんて超ひとりよがりな強がり言ったり、
その価値が分かんないやつはバカだとか
言ったりするんだよなぁ。
こーなると、
誰の援助も受けられないか、
もしくは、
援助を受けても「ヒモ」状態になって
いつまでも満たされないか。
アーティストにとって、
自分の世界観をつきつめるしかないからこそ
周りの援助は本当は欠かせないものじゃ
ないのかしら?なんて、
天才ではないウチは思うわけです(笑)
だからって、
媚びるのも違うし
突き放すのも違うよなと思う。
↑こーなる時点で他人が介在しとるからな(笑)
で、なんだけどさ。
極論言うと、
天才は創り出す作品で
満たされなくてもいいのかもな、
とも思うの。
その人のアーティスト部分の気質や
天才性を発揮するには、
そのひとりよがりや欠乏感が
必要なんじゃないのかなと。
ヒモでもいいだろうし
強がりでもいいんじゃないかなと。
ただ、
周りがみんなそれに賛同するわけでは
ないという事だけ諦めれば済む話
なんじゃないかと(他人事などで軽く済ますw
天才だからこその困難や苦悩は、
ちゃんと存在するのだと思う。
結論のないことを
ツラツラ書きましたけど(笑)
ここまでご静聴あざました♡