自宅お籠もりがメインの今、買って良かったと思うものは
シバザップ(ダンベル数種/ベンチ/トレーニングマット)と
YouTube見ながらトレーニングできる大型テレビ(笑)
ダンベル系やバーベル系は自宅ジムが増えて品薄らしいw
こいつらホンマ、思いつきで買っててよかった(笑)
タロってデザれるイタコ(O-タロットクエスター/主宰)
シバタトモコです♪
まいどヽ( ・∀・)ノ
⇒シバタトモコってこんな奴だよーん♡
まず、読み進める前に頭にたたき込んで欲しいことが3つある。
結果とは、現実が積み重なった事実の事。
事実の感じ方の結果を現実という。
今の事実は変えられないが今の現実は変えられる。
現実が変わっていくと過去と未来の現実(事実の感じ方)も変わっていく。
↑これ↑めっさ大事やで。めちゃめちゃ大事なキーポイントやで。
テストに出るで(何の
「事実」と「現実」。
↑これ↑をちゃんと理解し区別する生き方してくと、格段に生きやすい人生に変化する
(当社比なので言い切る)
ことスピ系では、事実も事実を感じることもごっちゃにして「現実」なんていう表現が横行するから、
目の前の都合悪く感じる事実をエスパーみたいに瞬時に変えれるとか信じてるバカが後をたたないので(言い方
ワシなりの言い方や解釈でアレだが書いてみる。
「事実」は本来、感情やジャッジは伴わない。
単なる事象・結果の事だ。
「現実」とは、「事実(結果)」に対して自分が感じる世界の事だとワシは解釈する。
事実に信じている事が現れていると感じれるものが現実である。
(大抵、信じてることは無意識)
事実を<感じる>というのは、前提や思い込みや信じてる事から起因して起こる感覚。
(by 潜在意識)
前提や思い込みや信じてる事は、まずは疑ってみない限り絶対に感じる内容は変わらない。
(断言する)
前提や思い込み、信じてる事や価値観をガラっと変えるには、
今の自分の価値観や当然と思える事を疑い、疑う事を行動に変える、
つまり、
真逆の価値観を採用して実行して生きてみる。
そうして初めて、事実に対する感じ方が変わり始め、ひいては自分の現実(世界)が変わりはじめ、
結果として事実も今までとは違った感覚で受け取れるという事。
だから逆に、分かったような事を言って上っ面だけ「そのテイ」で生きて肝心の前提や信じることを誤魔化したまま生きている間は根本は何も変わらない。
事実も現実も、一時はよく見えたりしても先々の結果としては結局、昔と変わらない。って事に収まるようにこの世は出来ている。
上っ面の努力は(分かったような態度etc)努力を怠った瞬間また元に戻るし、大抵そういうハリボテは、何かトラブった時に馬脚を現す結果になりやすい。
(だから窮地に陥るなど余裕が無い時ほど、人の本性は分かるものなのだ)
ハリボテでいいなら何の問題もないと思うけど(笑)
それがイヤなら読み進めてちょ。
「事実」と「現実」について何で区別できないのかなーって思うと(過去の自分で対比w
「正しさの押しつけ」「正しいか間違ってるかで判断」「他人を使って自分の正しさを誇張する」ここだなと思う。
例えば、これ、好例だとコロナでバンバン出てるよね(笑)
コロナが収まる・無くなるように努力するのは大事な事ではあるが、
コロナという事実に対して、人の行動について正しいだの悪だのというヒステリックな反応や、
自分の行動を他人と比べて間違ってる合ってるだの判定しようとする他人軸な反応は、
極論言うと、コロナという存在(事実)に感じる自分の恐怖心(妄想)を、
都合のいいように他人を使ってネジ曲げにかかっている(現実)に過ぎない。
ネジ曲げようとするから事実を事実として額面どおりに受け取れなくなるし、
受け取れないから恐怖や不安だけがさらに助長してしまう結果(現実)となる。
(コレが心のしくみと現実)
↑この現実↑の積み重ねの末路はどうなるか?なんてーのは、イヤでも想定できてしまうハナシだ。
今ある事実は誰にも変えられない。
未来の現実は今の自分の現実が綿々と創り上げるもんなんだよ。
コロナという「今」の「存在の現実」の中で自分はどう捉えて生きているか?
これが事実を直視・見るって事だ。
仮に事実を「恐怖」と捉える現実があるのなら、
その恐怖に対して自分のできる限りの対策を尽くせばいいだけ。
仮に事実を「楽観」と捉える現実があるのなら、
その楽観に対して自分のできる限りの選択行動を尽くせばいいだけ。
これらが「真っ直ぐに自分のありのまま生きる」って事だ。
↑これら↑に自分の価値観や正しさに他人を巻き込んで、
何が正しいんだとか何が間違ってるんだとかその基準だけで事実をやり過ごそうとするから、
どっちもいつまでも現実が窮屈に感じ、何事にも結果として恐怖心が拭えなくなるし、
果ては、自分がいいなら他人はどうでもいい的な利己的な選択行動しかできなくなるわけ。
怖さで心に余裕無いからさ。
これ言うとくけどコロナに限らずだからね(笑)
コロナはあくまでもわっかりやすい一例に過ぎん。
自分の世界の全てがこの原理で動いとんねん。
自分が感じている感情を自分の責任で尊重して事実の中で生きる、
自分の感じている現実に他人を引きずり込まない、
他人を引きずり込んで正悪のジャッジで裁かない、
他人を巻き込んで自分は正しいんだと証明しようとしない、
↑これが↑日和ってない生き方であり、自己責任の生き方だ。
自己責任優先の生き方は、怖さは湧いたとしても恐怖心に囚われる事はかなり少ない。
↑これは↑「おまえだからだろ」という話では無い。
誰にでも起こりうる心の変化やし、ワシも自分以外でそんな変化をしていってる人はくさる程見てる。
だから言い切る。
最後に胡散臭いハナシを少ししておくと、
来年から本格的に始まる風の時代のカウントダウンが始まってるからね。
風の時代は正しいとか間違ってるとかそんな次元じゃ無い。
事実はどうあれ「その中で自分はどう在るか」が大いに問われる世界。
まさに今、コロナなんてソレの予行演習みたいなもんだろとワシは思っています。
目の前の「事実」に対して自分の「現実」はどうなってんだろね?
そこを今は見る、嫌なら見直す、好ましいなら伸ばす、そんな「日和ってない生き方」をするチャンスはゴロゴロと転がっている。
自分が上記を実行するだけなのだ。
ソレを人のせい、コロナのせい、環境のせい、恐れのせいにして、実行しないなんてーのは、人生でもの凄い損失を実はやらかしてると我切に思う。