自分自身を誤魔化して生きれない不器用なこの2人(笑)
食い気に走り過ぎて写真撮ったタイミングは安定の食い尽くした後(笑)
美爪クリエイター主宰トップマスターJoliさんとサムギョプサル(だった)♪
ジョリさんとは、美爪クリエイターHPを作成させてもろた数年前からのお付き合い。
我らは、楽しく飲んでぶっちゃけ話でもしちゃえば、高確率でお互いの得手不得手をスムーズに補い合う事ができる。
こういう友だちって貴重やね♡
タロってデザれる習慣化トレーナー
(タロット鑑定士/数秘&九星気学鑑定士/潜在意識コーチ/心身健康習慣化トレーナー/WEBデザイナー)
まいどヽ( ・∀・)ノ
⇒シバタトモコってこんな奴だよーん♡
現実が拗れるのは何故か?
まず、整理しておきたいのは「事実」と「現実」は全く違うものだという事。
事実とは目の前に起こった(起こってる)出来事や状態そのものであり、良い悪いも無い。
なんなら、たまたまそうなっただけだ(笑)ほんとに。
現実とはその事実を、どう感じているのか/どう思うのか、というめちゃくちゃ主観なもので、言い換えると、現実とは人の数だけ存在するし、自分のメンタル状態でいくらでも変わっていくもの。
ここいらの詳しくは下記記事も見といて(過去記事に丸投げw
2020.04.18
重要★「事実」と「現実」の違い
自宅お籠もりがメインの今、買って良かったと思うものは シバザップ(ダンベル数種/ベンチ/トレーニングマット)と YouTube見...
観のいい人は上記を読めばもうおわかりだろう。
現実が拗れるのは、言い換えたら「拗れるようなメンタル状態で目の前の事実を見ている」からに過ぎん。
逆の視点から言うと「違った角度から見れば、どうとでも受け取り方は変わる」という事だ。
違った角度とは、価値観などが主たるものだろう。
では、拗れるようなメンタル状態とはどんな状態なのか?
これはシンプルに言うと「己の利しか考えてない状態」つまり「利己」。
己の利(利己)とは、実質的な利益はもちろん、感情的なものも含まれる。
物質・評価・相手の感情など、全てにおいての「自分の理想」の事だ。
つまり、自分が有利になればいいという利己的な事ばっか基準にして目の前の事実を見ているから、結果、現実が拗れているように感じるのだ。
そう、実際には、拗れているのではないのよ。
拗れたように感じているという、めちゃくちゃ感覚的なものなわけ。
で、拗れる事がダメなんじゃない。
拗れているという事は、違う視点で言うと「自分の理想ばっかで考えてるから、ややこしなってますよ」って、目の前の事実が自分自身にシンプルに戻るように教えてくれているという事でもあるわけ。
別に、理想がダメなんじゃないけどね、そんな理想を叶えるために人を巻き込んでるから拗れるのよ。
他人を巻き込んで、挙げ句、自分はシレっといい人でいようとしたり、そのために相手だけを悪者にしようとしたり、自分は何も失いたくないから他人を犠牲にしたり、そういう性根(これ無意識ですけどね。渦中は)で目の前の事実とやりとりしていると、見事なくらい現実は拗れていくもんです。
理想を叶えるのはいいけどね、他人に対しては協力はしてもらっても、巻き込むのは筋違い。
巻き込むとは、相手を悪者にしたり、自分を悪者にしたりという事だ。
あいつが間違ってる、自分がダメなんだ、アレが悪い、コレがあるせいで、等々、自分以外で自分の正当性を保とうとする時は必ず拗れるよ。
本当にあいつが間違ってるなら、ハッキリ「ソレ違う」と言えばいい。
言えない関係でも本当に間違ってるなら、しっかり間違ってる理由も添えればいい。
理由が言え無い/言うのが怖い時点で、その理由は原因ではなく、主観(好み)ってこと。
好みや主観で間違ってると断ずるソレ自体が筋違いだ。
(だから逆に自分が間違ってると言われた時、相手が好みや主観で言ってるならこっちに関係無い話ってことよ。イヤならどっかいけやか、自分が立ち去ればよい話)
本当に自分がダメなら、即、正せば良い。
正せない案件なら(懲りない性分とか)、そういう自分で迷惑を思いがけずかけたなと感じたら「そこだけ」詫びるなりすればいいわけで。
アレが悪いなら、悪いポイントの改善を図るか、それでもダメならあきらめるしかないっしょ。
あきらめてはいけない事なら、また改善できるチャンス来るわよ。その時に今までと違う言動行動すれば良いだけ。
コレがあるせいなら、コレを手放せばいいだけでしょ。捨てればいいでしょ。
手放せないのは、結局、手放せない事で被害者でいて自分を可哀想に仕立て上げて、周りに優しくしてもらうとか、安易に自分の利を得るよう事を運ぼうとしてるだけよ。
事実は、めっちゃシンプルなもんよ。事象なんだから。
現実が拗れるってのは、自分が悪者になりたくないがために、理想を楽に叶えようと他人を使おうと足掻いているだけなのよ。
あと、現実が拗れる事が多い人は、下記も読んでみて。解決ヒント隠れてるかもだから。
ここからは、ちょいメンタルや潜在意識の話です。
人って、幸せに生きるために必要なものは全て自分に備わっている。
備わった要素とは、得意・不得意に大きく分けられるけど、不得意も持って生まれた才能。
得意なものとは「貢献するために必要なもの」
不得意なものとは「貢献させてあげるために必要なもの」
得意不得意は行動だけではない。性格(短気とか気長とか)も全て含まれる。
で、こういった要素は均一化などされている事も無く、漏れなく矛盾に満ちた凸凹状態である。
なんで凸凹なのかというと、凸凹具合で貢献する/される(相互貢献)が生まれていくからである。
(ちな、貢献に良い悪いもない。憎み合うとかDVだって立派な相互貢献ですからね)
相反する色んな要素を持ち合わせているのが人である。なので、マンガに出てくる完璧なヒーローもヒロインも残念ながらこの世には存在しない。
スマートに見える人だって、実はどんくさいところもあったりする。
どんくさく見える人だって、スマートなところもあったりする。
それが本来は自然な状態なのだ。
この相反する凸凹を自分が否定しないとき、つまり、何者かになろうとしてない状態は、概ね魅力として映る機会が増える。
ゆえに、現実に大したストレス(拗れ)が無い状態とは、自分自身の凸凹を否定したり、誤魔化したり、隠したり、罰したり(罪悪感や劣等感)をしてない場合となる。そうするとエネルギー的な摩擦も少なく軽く流れるので結構スムーズに凸凹が合う環境に恵まれやすい。
が、現実に大したストレス(拗れ)がある場合は話が違う。
自分の凸凹を否定なり誤魔化しなり劣等なり感じていると途端に現実は拗れてゆく。
出会う人・関わる人や環境と本質的な凸凹は合ってるんだけど、表面に要らん価値観や固定概念がお互いに乗っかってるので、凸凹が合うまでに、事によっては相当の努力を以てしか合致できない環境に恵れやすい。
例えば性格を例に取ってみる。
気が短くスグ思った事を口走る人には、それを辛抱強く聞いてくれる人と巡り会う事が多いとかよくある例。 これは、エネルギーが引き合う根本なので避けられない。(詳しく仕組みをしっておきたい人はコチラへ)
引き合うまでは、単なる事実。
短気な人と気長な人が出会った、というだけだ。
ここに良いも悪いも存在しない。
が、現実は違う。
現実とは事実を「どう捉えるか?」という、潜在意識下に存在する前提・セルフイメージ・価値観というものを通して見たもの。
なので、上記のような単純な事実が、自分の内面で大きく変わる。
自分の短気や思った事を口走るところを自分が嫌っていたり排除しようとしてたり劣等感を感じてたりすると、目の前の現実は、真逆の相手に依存するか(好意的)反発するか(敵対視)の二択に陥る。
真逆の自分は悪くない(正しい)と無意識で感じると敵対視に、真逆の自分を嫌いすぎて反発すら放棄していると依存になる。
真逆の自分が悪くない(正しい)と無意識で感じれるのは、「そう感じていたい」が無意識欲求として存在しているからで、その欲求は「私は劣っている/間違っている/ダメだ」的な劣等感に繋がるセルフイメージを持っているからなのね。(by 投影の法則)
一方、自分の短気や思った事を口走る事をあまり気にしてない・もしくはそれに相応した反応(そういう自分を否定したり変えようとしたりしないってこと)だと、目の前の現実は、真逆の相手に助けられたり癒やされたり感謝の念が湧くような事がマジ増える。
自分が自分に反発していない状態は、相手も反発していると感じにくいのだ。
真逆の相手に感謝すら湧くのも無意識。「そう感じていたい」が無意識欲求に存在しているからで、その欲求は、私のあるがままの性質を否定するような前提やセルフイメージを持っていないからだ。「そんな事はどうでもいい」に近い。好きとか嫌いとかの二元論ではなく「気にしてない」ここに尽きる。(by 投影の法則)
人は皆、自分の価値観や信条・セルフイメージ等を通して周りを感じるように出来ているので、同じ事実なのに感じ方に差が出るのは致し方ないのでありまする。
なので、同じ事実でも幸せを感じて生きれる人とそうでない人がいるわけ。
言い方を変えると、幸せな生き方・人生ってのは定義に当てはめる事はできないってこと。
人の数だけ幸せの感じ方は違うのよ。家族であっても、これは別。ただ、家族の場合は、そこを合わせていく過程は外せないけどね。
で、どんな人でも望むであろう幸せを感じやすい人生・安心を感じて生きやすい人生は、自分自身の優劣や長所短所を気にしすぎない、ここに尽きるわけ。何かが出来る・出来ないとか、優秀・劣ってるとか、そういう二元論の問題じゃないのよね。
だ と し た ら 、
今、劣等感や罪悪感を感じる責められてるように感じる自分が、実は良いも悪いも無いんだとしたら、自分は何を言い何を選び何を行動するのか?
相手がこちらを責めてるように感じるのだとしたら、
実は相手もこちらの姿を見て劣等感や罪悪感に苦しんでる事で、それは相手の問題であってこちらの問題ではないとしたら、自分は何を言い何を選び何を行動するのか?
こんな具合に、目の前の事実をいつもと違った角度・視点で見ていかない限り、ずっと本来の自分・与えられた要素を否定/拒否する事になり、果ては、自分以外の何者かになろうとする状態に陥るわけ。
そうなると、現実が拗れていくのは当然の出来事な訳さね。
与えられたものを使い切る、ここに関する創意工夫が成されてない時に、人は何者かになろうとし、果ては、ハードモードな人生となっていく、つまり、現実が拗れていく。ただそれだけなのです。
そういう人生脱出したかったら、境遇や人間関係に左右されづらい人生を歩みたい人に朗報(笑)
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