過去記事のリライトのつもりが、なんだかおもっきり変わった(笑)まあ、良い。
今日のお話は、心の視点を変える、のに重要なはなし。
タロってデザれる習慣化トレーナー
(タロット鑑定士/数秘&九星気学鑑定士/潜在意識コーチ/心身健康習慣化トレーナー/WEBデザイナー)
まいどヽ( ・∀・)ノ
⇒シバタトモコってこんな奴だよーん♡
どうしようもない自分って誰にでも1つや2つ、いや、10こや20こはあると思うけど(多過ぎ?w)、そういう自分ってのは、どれだけ心の学びを通じて自分と向き合ったところで自分を知ったところで消えるものではなく、付き合うもの。
そういう自分は違う見方をすれば「どうしようもない、と、思えるくらい繰り返せる才能」であり、才能とは、自分の「心の視点」を左右する一部です。
けど、才能っていわれても(実際そうなんだけどさ)、自分がそういう姿を責めて忌み嫌ってる時は才能なんて思えないわね(笑)
それが例えば、強がりとか、負けず嫌いとか、ウジウジするとか、一般的に見てもマイナスイメージがくっついてくるような事だと「恥ずかしさ」や「劣等感を感じる姿」と感じてしまい、隠したくなるのも人情。
心の仕組みから見ても「恥ずかしい」「嫌われる」「誤解される」「負ける」と思い込んでること(行動や言動)で、恥をかきそうと思う時に、自動的に防御反応が働くものなのよねえ。
せやし、そんな「都合悪い才能」が、つまづきパターンの出来事やシーンや似たような人の前だったりすると、必ず「隠しグセ」や「誤魔化しグセ」が出てるはず。
で、それは別に間違ってる事ではないんだけど、むしろ、普通に生きてりゃ人の自然現象なんだけど、この「隠しグセ/誤魔化しグセ」で防御し過ぎると、嫌われるとか負けるとか恥かくことに慣れがなくなるから、もう、受け付けられなくなる。
こーゆー受け付けられなくなってる状態の時に、人って変化を極端に怖れるようになり、心が疲弊したり拗ねたり歪んだりしてしまうのでやんす。
で、残念な話をすると、そういう自分って隠しても、いや、隠せば隠すほど、後で露呈して悲惨な結果になる確率が鬼高いよな(笑
これ、なんで隠してるのに誤魔化してるのに後から露呈するハメになるのか?
って事に疑問を湧く人もいるとおもうんだけど、それはね、才能だからなのよ(笑)残念ながら。
才能ってもんは、否定しようが肯定しようが「自分の人生において悦びを感じる事に必要だから与えられたもの」なわけね。
才能ってもんは、自分の「悦び(自己満足)」に繋がるものに使うように持たされてるのよ。
この世は、与えられたものを使い切らない限り、次のステージは見えてこないようになっている。
だから、隠そうが何しようが、結局、断末魔になるとその才能を活かす事になるわけよ(笑)実に不本意なカタチで。
けどね、よーく考えてみてほしいのさ。
神様が本当にいるとしたら、わざわざしんどい思いするためだけの才能を与えるだろうか?
これはどう考えても否でしょ。
自分がその才能の使い方、使う矛先、そんなものを間違ってるだけなのよ。
間違った原因は、子供の頃や他者からもたらされた「謎の価値観」が所以。
考えてみて?
この世にデメリットだけのもの、メリットだけのものって存在しないんだよ?
(それがあると信じてるなら、その信条は間違ってますよ:断言。もっと色々学びなさい。)
冒頭で書いた不都合な才能「強がりとか、負けず嫌いとか、ウジウジする」っだってさ、マイナスで見るからデメリットとして取るだけで、メリットとしてみたら全然違うものになるんやで?
メリットとして見てみたら、
強がり⇒忍耐強さ
負けず嫌い⇒勝るを信じて疑わないピュアさ
ウジウジする⇒かなり深く考えられる
こんな感じ。稚拙ですまんが(笑)
心の視点をこうやって変えると、全然意味が違ってくるんだよ。
全然悪くない。使い方間違ってるだけ。
強がりするくらい忍耐強いなら、その忍耐の矛先を変えれば良いの。自分の興味ある事とか好きな事に強がって忍耐すればいいの。
負けず嫌いになるくらい自分が人より勝ることを疑ってないなら、その負けず嫌いを出したくなる矛先を変えれば良いの。これも自分の興味あること、好きな事に変えるの。
ウジウジするくらいかなり深く考えられるなら、考える矛先を変えればいいの。これも自分の興味ある事、好きな事に。
で、問題になるのが、周りに遠慮したりして好きな事や興味ある事に真っ直ぐに取り組めない問題(笑)
ここにも「心の視点」が潜んでる。
だいたい好きな事・興味ある事をやってみて、ちょっと躓いたら諦めて元サヤに戻るか、ちまちま怒られない・迷惑かけない範囲で実行して「やってる気になる」ってやつが非常に多い。
そういう時もあっていいけどさ、あまりにもそういう事を繰り返してると、むしろ、その才能の否定は無意識下で強化されるんよ。
元サヤにもどっても我慢⇒ストレス⇒限界来て露呈して悲惨な結果、なループ繰り返すわけで。
怒られない程度にやってたって我慢は拭い切れないわけだから、後は上記と同じループなわけよ。
人の潜在意識(無意識)ってのはね、繰り返すほど強化されるんだよ。
強化の種類に良いも悪いも無いんだよ。
上記の根本は心の視点が問題なのさね。
人の価値基準で動いてるからそうなるんだよねえ。
人に評価されたい、認められたい、褒められたい、好かれたい等々の視点で選んだ事を実行したり、そこを気にして遠慮気味にやったりしてるわけね。
潜在意識の視点からこれ紐解くと前提(セルフイメージ)が見えるんだよ。これ。
評価されたい⇒評価されないって信じてるからそう期待できる
認められたい⇒認められないって信じてるからそう期待できる
褒められたい⇒褒められないって信じてるからそう期待できる
好かれたい⇒嫌われるって信じてるからそう期待できる
この視点で才能使ってみたって変わらねーよ(笑)断言
こっちでなきゃ。他人外さなきゃ。
評価されたい⇒自分が評価してあげる(他人はどうでもいい)
認められたい⇒自分が認めてあげる(他人はどうでもいい)
褒められたい⇒自分が褒めてあげる(他人はどうでもいい)
好かれたい⇒自分の好きなところをさがしてあげる(他人はどうでもいい)
上記の視点と、持ってる不都合な才能のメリット面を知って、実際に使ってみて初めて、心の視点ってのはじわじわと回数重ねる毎に変わっていくんよ。
例えば、ウチの人生を例に取ると、自分の不都合な才能の一つにある「飽き性」。
恐ろしいくらいのめり込むが故に、ある瞬間ポイっと飽きる(笑)
もう地獄的なぐらい飽き性である(笑)
親にも「飽きたらぽいっとするからもうおもちゃは買わん!」と何度も言われ、自分の潜在的なところで「飽き性はダメ」って思い込んでたのね。
自覚はあったけど、ダメって感じてたってのはワークして昔の体験とそのとき感じてた気持ち等々を棚卸しして分かった事なんだけどさ。
ダメだと思ってるとは思ってなかったけど、そういう自分は確かにイヤだったわね。だって、飽き性な自分にまつわる記憶って、怒られたり嫌味言われたりな記憶しかなかったもの(笑)
飽きずにコツコツやる人ってすげーな(当時は嫌味ねコレw)って思ってた(笑)
けど、そうやって露わにすると、飽き性はウチが子供の頃から小さな頃から言われていた記憶があるので、そういう昔から変わらない部分(繰り返す部分)は、もはや才能な訳ですよ(笑)
才能って、世で素晴らしい!と言われるものだけじゃないから。
天分なだけだから。
てことはよ?
才能なら使わないと人生詰む(笑)ってか、詰んでたな(笑)
そのお陰で飽きているのに色々理由つけて手放せない事・人・モノが山ほどあって、自分を苦しめる結果になってたもの(笑)
色々理由つける自分にホント言い訳がましい感じがして嫌気さしてたもの(笑)
で、飽き性のデメリットとメリットを考えてみたのね。
飽き性のデメリットは、周りに迷惑をかける事があるって事。期待を裏切る事もあるよね。
一方メリットは、次々と新しい事に挑戦できるとか、手に入れられるとか。常にフレッシュ。
このメリットとデメリットを考えたら、メリット知った瞬間、めっちゃ気持ちが軽くなったのね。
ってことは、自分はメリットを得るために飽き性を否定してたら話にならんわと思ったのよ。
で、次に考えたのは、じゃあ、飽き性という才能を使って周りに迷惑がかかったらどーすんの?ってのは、心の仕組みから考えてみたのね。
自分の行動をどう捉えるか、どう感じるかは、相手の前提・価値観・セルフイメージに由来する。
ってことは、相手がどう感じるか?まではウチの責任領域じゃないのよ。ウチの責任領域は「飽き性」までなのよ。
たどしたら、こちらが悪意をもって飽き性を発動させたのではないとしたら、それで相手が迷惑と感じたのなら迷惑をかけたというのは本意ではないので、
「そう感じたのなら、そこはごめんね。けど、飽きちゃったのよ」って事だけ伝えて、相手にどうしたいか判断してもらうしかないわと思ったわけ。
飽きる事もよし、として、生きる事にしたのよ。
それをしつこくしつこく、飽きちゃダメだと思う場面に遭遇した時ほど「飽きた時の自分を誤魔化さない」ってのを繰り返して、色んな体験して、想定外(飽きて正解だったなって感じる事や、以外と飽きなかったりとかw)も起こり始めて、そこらへんからようやく、飽き性である自分をダメだとは思わなくなったのね。
飽き性である自分を否定しなくなったら、自然と、本当に飽きちゃダメな場面になる確率が高そうなものは、事前に途中で抜けれるか調べたり聞いたりしながら、人と関わるのを選ぶようになった。
そしたら、どんどん快適になってったんだよねえ。あれほどダメやと思ってた飽き性が(笑)
ウチの例は簡単にいうとこんな感じ。
これで失敗して怒らせてしまった事だって山ほどあるし、そうでない事も山ほどあった。
けど、自分の才能なんだから、もう、隠さない事・遠慮しない事を決めて実行してるだけなのね。
それで自然と、気がついたら心の視点が変わってただけなのよ。
「飽き性も悪くないな」って。
昔、飽き性はダメだと思ってた頃は、飽きてはポイっとする人にとてもモヤモヤしたりムカついたりした。
けど、不思議なもので、自分が飽き性を否定しなくなると、同じような人を見てると何だか楽しくなるんよね(笑)
人ってものは、自分の心の視点で世界を見てますからね。勝手なもんです(笑)
心の視点を変えるのは、右利きを左利きに変える練習して、左利きで自然に生活できるようになることと同じです。
そして自然と両利きになってくことと同じです。
両利きなら出したい自分を出したいときに罪悪感なく出せます。
両利きなら出したい時に出せるので、譲る余裕も生まれます。
お箸も心も同じで、両利きになるにはやることやる必要はありますよ。
やることやる、とは、ちまちまやらん、って事です。
得た知識だけで浅いところでうろちょろしないって事です。
何度も何度も、一番大事な場面で成功と失敗を経験する事です。
学びで得た新たな知識、新たな心の視点、新たな価値観を、行動言動思考に取り入れて選択して行動するのがワンセットっす。
それらを避けて通るなら、ウチからしたら単なるエスパー志願者ですw
念力でどないする気やねん?と(笑)
やりはじめはそりゃー今までと逆の心の視点だらけだから怖いだろーけど、やりだしたらたくさんの勘違いや誤解で逃していた豊かさや優しさに気付くから、むしろ今までと逆の生き方の方が楽しくなってくるのでね、いくらでも続けられるもんすよ。
そうするうちに、自然と右利きが左利きになるように、新しい心の視点が自分のものになってるんです。
そうなったときにようやく、自分自身の等身大が分かり、才能がなんたるかが分かるものです。
分かってくると、自然と、言動行動も変わっていくし、仮になにか問題が起こったとしても修正も早くなるだけでござんす。
心の視点を新しいものにしていくには、まずは真逆の前提や行動選択で持って生まれた才能を使い切る。
エスパーでない限り、ここは飛ばせませんぜ。
エスパーじゃないならやることやれよー♪( ´θ`)ノ
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