過去記事でも多分、死ぬほど書いてるけど(笑)
過去記事が探しきれなかった(探す気無い)ので、まあ、良い機会だしリライトではなく新たに書いてみる。
ウチだって、過去から色々変わっていってるしね。
てことで、ウチの当時のすっとこどっこいエピソードも交えて。
タロってデザれる習慣化トレーナー
(タロット鑑定士/数秘&九星気学鑑定士/潜在意識コーチ/心身健康習慣化トレーナー/WEBデザイナー)
まいどヽ( ・∀・)ノ
⇒シバタトモコってこんな奴だよーん♡
自己肯定感って、そりゃー高いに越した事ないわな。
けど、先に言ってしまうと、自己肯定感は上げようとしても上がらない(笑)
自己肯定感を上げる事を目的とした努力は、
積み重ねても結果的には余計に自己肯定感って下がってしまう。
で、そんな努力を積み重ねていった末路は「評価・承認クレクレ星人」になるか
「マウント界のクライマー」の地獄の二択が待っている。
さらに、クライマーが行き過ぎて支配欲が強いと、
分かりやすい恐怖感も付け加えて相手を従わせようとする
最悪系の「マウント界のスーパークライマー」や「パワーハラスメンター」になるという地獄絵図(笑)
パワーハラスメンターとか(笑)
自分で書いてて笑ったwこんなメンターは要らないわねw
地獄の二択は両方ともウチは長らくハマった経験がある(白目
ちな、心理構造などの観点から言えば、
両方ハマるのは、誰でもなんだけどね。
なんでかって言うと、根底が同じなのよ。
「自己肯定感の低さ」から来る、真逆の現象な訳です。
なので、片方に自覚がある人は、必ず自分の知らん間にもう片方もやってんのよ。
これは言い逃れできない、どうしようもない心理構造なのだ。
ウチも上記の無自覚は例に漏れず(再び白目w
ちょっと自己肯定感の話を分解する前に、ウチの黒歴史を少し。
昔ハマった男がマウント界のスーパークライマー(奴との簡単な黒歴史はコチラw)で人生初のモラハラされる側になって、初めて、自分ももしかしてコイツみたいにマウントとってたのか!?と恥ずかしくなったもんだ(笑)
無自覚に周りにマウント取ってた頃の口癖は「あんたのため」だったな(遠い目w
そいつが、無茶苦茶理論を展開して人をボロクソに言う挙げ句に「お前のために言ってる」ってのにハっとしたんよな(笑)
んで、さらにアホな事に、そいつにマウントされてるってのは、初めて過ぎてしばらく「なんなのこれ?」としか思ってなかった(笑)
(いじめとかにに遭って来なかった人はこうなるかもw)
マウントされてんだって自覚が芽生えるまでは、相手に認められるように頑張って頑張って、
それでも認めて貰えないという謎の相当なジレンマに苛まれ続けてたな(笑)
ただでさえ、マウント取ってきたという自己肯定感の低さを、この時期は認められようとする側に回って努力した事で、余計に自己肯定感下げまくったんだなと、今ではわかるけど。
当時は、今まで努力して認められなかった事・成功しなかった事がほぼ無い自分だったので(救いようないw
努力して結果出しても、別の事引っ張りだしてきて罵倒される状態についに耐えられなくなって、
人生初の今の謎の状況って一体どういう状態なんだろうとググり倒して、ようやく心理というものに出会った。
それでようやく、自分は人にマウントしまくり、果てはマウントされていたって事に気がつくという(遅w
そしてそれはいずれも自己肯定感の低さから来てたんだという(白目
当時はまだ、鼻っ柱も強くて自信過剰に生きていただけに、ほんと目の前がガラガラと崩れさっていく感が凄かったな。
んで、自己肯定感の低さの大元は親との関係性に根深いのがある、ってのを心理を学んで知り、学び出して早々に、この体験(コチラ:これはオカンとの事)を機にそこから数年かけて人生の努力の矛先が変わり始めた。
ようやく、自己肯定感が低くなる努力を止め始める事ができたんだよな(遠い目
さらに懲りずに続けてきたスーパークライマーとの関係についにフラれて終止符が打たれたw
(その時の心の推移はコチラとコチラとコチラ)
んで、自己肯定感を下げてしまう関係に強制終了が訪れると共に、人生は大きく変わり始めたんだよな。
ある種、突っかかりがとれちゃった感じ。
そこから、自己肯定感ってどういうものなのかをさらに数年かけて自分の体験から理解していったなー。懐かしい(笑)
ざくーっとまとめると、自己肯定感にまつわるプチ黒歴史はこんなかんじ。
まじ当時は終わってたな(笑)はははw
じゃあ、本題に戻りましょうか。
ほんと大抵は無自覚なのよ(笑)マウントもモラハラも自己肯定感の低さも。
いやほんまマジで。
人の脳のスルー力って凄いねんから(笑)
ウチに限らず、誰だって人間関係においては、
自分ってもんを見失ってる間は、相手に対する自分の抱く感覚によって出方が自然と変わるのよ。
いずれにしろ冒頭で書いた地獄の二択とさらなる地獄絵図の状態は、
自分が心の底ではナメてる相手に対してと、
心の底では未知な感じでビビってる相手に対して出方が真逆になるんよね。
これって、相当自己肯定感が低い時。
だから自己肯定感が低い時ってのは、人と対等に接するなんてことは決してできやしないのだ。
何なら、対等って意味はき違えて、人になれなれしく図々しく接する事だと勘違いする輩もいる(笑)
では、自分の昔乙でした供養ついでに(笑)
自己肯定感が余計に低くなるパターンを幾つか、ウチの昔の残念なハマった経験をかいつまんでサンプル的に書いておく。
【自己肯定感が余計低くなるパターン①】
圧倒的かつ、相手のツボが分からない場合はひたすら下に入るよね。
んで、下に入って努力して相手に認めて貰おうとする。
どんだけ頑張っても認めて貰えないってなると今度は相手を悪者にして嫌う。
このパターンは、努力の矛先がおかしいのね。
自分のための努力では無く、自分の否定感を埋める(=肯定感を得たいがため)ための我慢努力と化す。
この場合は、概ね、相手は何をやったって他の出来ない事とかを引っ張り出して自分が望むような肯定はしてくれないわな(笑)
【自己肯定感が余計低くなるパターン②】
相手のツボは分からんが、あきらかに自分より格下と感じる相手にはひたすら上から入る。
タチが悪いのになると、相手の不手際や不出来な部分を自分の出来る部分と比べて優越感に浸るって状態もプラスされる。
上記いずれも要はマウント。
「なんで出来ないの?」とか教えたりとかもマウント類。
(相手は格下なんだからそもそもは出来なくて当たり前なのにコレ言っちゃうとかアウト。なんで出来ないかが分かれば出来るようになっとるわいw)
教えても駄目だーとなったら、教えないでマウントだけしまくってウザがるよね。
はー、こうやってかいつまんで書くと、改めて過去のウチはどんだけ性格悪いねんと(笑)
※注※今も別の意味では相当性格は悪い(笑)けど、その性格の悪さがコッソリ好きでもある(笑)
とりま自分でツッコんどくわ(笑)ははは。
話を戻そう(笑)
上記を見て、感のいい方はわかると思うけど、
自己肯定感が低い時って、自分がパターン①に陥る相手はパターン②、
自分がパターン②の時は相手はパターン①なのよ。
この関係性に関しては、はっきり言って例外はない。
同じエネルギーが引き合うのが引き寄せなわけなのでね。
上記のパターン①と②の関係性はいわゆる「モラハラ関係」にもなるわけだけど、根底は実は同じ「自己肯定感が低い者同士」なんす。
で、ここからが今回の記事の本題。
そもそも、なんで自己肯定感低くなるのか?高くなるのか?ってところ。
結論から先に言うと、
自己肯定感ってのは、自分の劣っている部分、ダメだと感じる部分、嫌われる・呆れられてしまうと感じる部分を、自分だけは否定しなくなった時に、勝手に上がっていくのよ。
言い方変えたら、自己肯定感の自己肯定って「自分を否定しない事」。
そして、自分を積極的に認めて貰おうとしないこと。
これに尽きるわね。
だからって「自分を認める事」でもないのよ。ここ間違えないでね。テストにでるから(何の
否定しない事と認める事は違うの?って思うでしょ?
否定しないってのは、肯定もしない、って事でもあるわけ。
上記の状態を「全肯定」っていうんだよ。
全肯定ってのは、認める事なんだよ。そのままの状態を。
「自分の劣っている部分、ダメだと感じる部分、嫌われる・呆れられてしまうと感じる部分」
ってさ、自分でも散々イヤな部分な訳でしょ(笑)
それ、いきなり肯定できます?無理ゲーよね(笑)
上記の「」部分を矯正するのをやめて、周りの人に迷惑をかけさせてもらいつつも、自分の素のままで生きていく経験を積んでいけば、自然と「まあ、しょうがないか」くらいにはなる場合もあるし、逆にそんな自分でも認めてくれる人も現れて心救われる時もある。
けど、そんな嬉しい状況があったとしても、そもそもは矯正したいくらいイヤな自分な訳で(笑)
そんな部分をいきなり無理クソ肯定しようとすると、今度は先に出たパターン②に陥る(笑)
マウンティストとして大活躍する事になる(笑)
なので、自分を肯定しようとする努力は、むしろ自己肯定感がさらに下がるから辞めた方がいい。
上記の「」部分については、
否定しない、けど、肯定もしない、ただ、そういう自分もあるんだなと、それだけを自覚してあげるのが大事。
そういう自分にムカついたとしても、さんざんムカついて気が済んだ頃に必ず、まあしょうがないかなと認めてあげることが大事。
この過程でアウト案件は「ダメな自分を周りにゆるしてもらおうとする」とか「どうしようもない自分を理解してもらおうとする」ってやつね。これはマジアウト。この行為は既出の余計に自己肯定感下がるパターン①に該当すっからね。
自己肯定感が低くなる時は、必ず、自分の成長を「世間/一般論」などという「自分以外の物差し」に自分を当てはめようとして、そういう自分を亡き者にしようと頑張る時に、鬼のようにダダ下がっていくものなのです。
上記の事、理解した人ならうっすら思ったと思うかもだけど、
真に自己肯定感が高い人って、意外と自分の事を「自己肯定感が高い」なんて思ってないわ(笑)これは間違い無い。
だって、自分が世間/一般論に当てはまらない部分も承知しているんだから。
むしろ、イヤな自分はどうしようもねえなって、しっかり自覚してるしね。
自己肯定感が高い人って、自分の色んな姿・特性は自覚してるけど、
それが世間/一般論から見たら不都合になるようなものであっても、自分の中だけは亡き者にしないだけなのさね。
要は、ダメな部分を躍起になって改善しようと努力はしないってこと。
それとともに、劣ると感じる部分を認めて貰おうとか理解して貰おうとかしないこと。
ただそうある、って事を時に失敗しながら、成功しながら、人のせいや自分以外のせいにだけはしないってこと。
(他人責めもしないけど、自己責めもしないってこと。しゃーないなとあきらめて次、じゃあどうしよか?と現在地へ戻るという事)
んで、上記の状態ってのは自分の姿に隠しごとが無い状態とも言えるので、自然と堂々と生きていくようになる。
なので、自分では自己肯定感とか気にならないけど、周りは自己肯定感高そうやなーとか思ってくれる事はあるよね、くらいかな。
自己肯定感が上がる、ってのは、
どんな自分も否定しない・無理に肯定もしない、肯定や理解を欲しがらない状態のこと。
ただそれだけなのです。
むしろ、何の努力も要らんね。そのままで生きるわけだから。
強いて言えば、そういう自分で生きる初めの数年は勇気だけ必要ってゾーンの話です。
上記を読んで、自己責めや他人責めせず気楽な気分で人生を送りたい!
って人は下記へどうぞ(笑)
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