マスター2日目、
車大渋滞で遅刻寸前→化粧途中で到着。
マスカラ片目の刑で会場入り@しばです。
こんばんわ。
この辺りの羞恥心にはどうも欠けてるようで、恥ずかしいより「なんかこれ、オモロイなw」を優先してしまうψ(`∇´)ψ
まぁ、よい。
好きなんだから。こーゆーの。
なんてったって、
ウチは無関心がダメな、
かまってちゃんやもーん♪
楽しく笑ってくれたら
嬉しくなるんやもーん♪
大いに笑いたまえ( ̄▽ ̄)♪
で、今日、京都からの帰りの車で
ふとまた思った。
ほんま、なんやの?その「ふと」って!
と、思われても知らんwww
ホンマにふと思うわけなので。
多分、今日のワークでいろいろと
繋がったんやろねぇと思う。
で、ふと思ったことは、
受ける&与える愛情のカタチに
こだわっていた自分がおったなぁと。
自分が思う女らしさも
その一つやろなと思た。
なんか心の何処かで、
自分の女らしさを認めたくて
女ならこう愛した方がいい、とか、
女ならこういう優しさのほうがいい、とか。
こんなんあったんやろなぁと。
うーん、愛に形は決まっとらんから、
女らしかろーが、
男のまさりだろーが、
どーでもええんよなーと。
で、優しさや愛を受ける側も、
男やからとか、女やからとか無しに、
与える側の人なりの行為に、
優しさとか愛情を
感じることができるのが
幸せなんやってわかった。
なんで、こんな事を気づいたか?
ここからは、ウチの健忘録になるので
長いしまとまってないから、
意味わからん人はスルーでよろしこ。
今日のワークの最後で、
自分は実は、
女の子っぼい人なんです
ってことを認めて、
でも、実際、
女っ気ないそんな自分でもいいんです
って認めた。
ほんで、帰りに、
よーく考えたら、
実はブログ読者さんを
大切にしたいのねーんと書いたら
コメントやメッセージなどで
ウチは愛をあげる事が
できてるぜい!と、
嬉しい証拠をいっぱいもらった。
このブログは、
はっきりいって、
女らしい文章は無いと思う。
それでも愛を感じてくれてる人がいる。
つまり、カタにはめた女らしさでなくても
ちゃーんと、愛は伝わっててくれたんや。
愛=優しさ
でもあると思うし。
優しさかてカタチは決まってないもん。
女らしい丸みのある優しさもあれば、
男まさりなシャープな優しさもある。
厳しい優しさもあれば、
とにかく暖かい優しさもある。
女やからって、男やからって、
どっちかしかしたらあかんなんてことないし。
んで、そんなこと思ってたら、
好きな人から電話があり、
仕事の話を聞いて欲しいと
連絡してきてくれた。
んで会話の最後のほうで、
前のプチ口論の記事でウチが言うた、
多分彼は覚えてないやろーなと
でも、覚えててくれたら嬉しいなって
思ってた事を、ちゃんと覚えてくれてた。
奴は、興味無い事は、
恐ろしいほど忘却するので、
これはホンマに嬉しかった。
これも、大きな意味では
優しさやし愛やと思う。
前みたいに、
媚びんでも、女らしくせんでも、
気に入られようとせんでも、
ちゃんと優しくしてもらえた。
そーいえば、
最近は前よりも、
女として扱ってくれてる気がする。
女にとっては、
好きな人から優しくしてもらえるのは
女として扱ってもらえるのは
何よりも嬉しいこと。
ただ、その優しさのカタチに
こだわるからしんどくなる。
んで、電話切った後に、
ああ、愛情のカタチに
女らしさを入れなあかんと
思い込んでたなぁと思った。
口がわるかろーが、
態度が悪かろーが、
声が和田アキ子ばりに低かろーがw
やっぱりウチは、
女の子でござる♪
自分は、人を愛したいということに
素直になって、
女の子であるという事に觀念して、
女っ気なくてもいいって許したら
愛のカタチは何でもええ!
に、いきつきましたわw
マスター次月から、
未知の領域なので
とっても楽しみ♪
もっともっと内蔵ゲロるぜ!ψ(`∇´)ψ
ワクワクする♪
(注 変態ではありません)