自分を肯定するって
本音の自分で生きるっちゅー事で
基本中の基本やと思う。
あかん自分でもよい。
素晴らしい自分でもよい。
だがしかし!
駄菓子菓子!
あかん自分を肯定だけするのと
あかん自分を許した上での肯定ってのは
ちょっと違うなと最近思うのれす。
許した上での肯定なら
何かに共感できる人に出会ったら
素直に受け入れられるし
同じやない部分も純粋に楽しめる。
お陰様って気持ちが芽生えるし、
関わる事そのものに
ありがとー!たのしー!って言いたくなる。
この表現の違いは、その人の性質にも
よるところかなとは思うけどw
で、そーなると、
同じよーなことで
モヤモヤする時があったとしても、
必ず短期間で、受け取れる。
もしくは、
また自分がこんなところで
モヤモヤしとるわーwって
笑える瞬間がある。
これが、あかん自分を許した上での
自己肯定やないかと思うのれす。
気づかない潜在レベルで
まだ許せてなかったら
「自分と同じ!」って共感できる人に
関わっても、なんちゅーか、
同じやない部分に対しても、
はては、同じと思ってた部分でも、
その人を知れば知るほど
モヤモヤすると思うのれす。
あかん自分を許す方法は、
(あかんってのも実は思い込みやけど)
人と関わってモヤモヤした時に
そんなモヤモヤから逃げないで
得た知識だけで解決しようとしないで
モヤモヤしまくる事しか無いと思う。
モヤモヤを味わいまくった先に
自分が何をわかって欲しかったのか
何をして欲しかったのかが分かり、
分かれば、その自己欲求を満たせてない
どんな自分を許せてないかが分かる。
感情を味わい切った先に、
許せる可能性があるんやと思う。
しんどい事やけど、
これが自己肯定の醍醐味やと
おもったりするのでふ。