自分の「今」も「過去」にも
実は「ある、あった」のに、
「ない、なかった」って思う時も、
実は自分の「今」も「過去」にも
実は「ない、なかった」のに、
「ある、あった」って気づいた後に、
それでもまだ「あるのよ!」と
意識してる時は、
実は両方とも、
「ない」と思ってるんやなぁと、
もしくは「ある」ことがまだ腑に落ちてないんやなぁと
最近思うようになってきた。
これがあってるかどーかは知らんが、
少なくとも、自分の事に置き換えたら
そう思うねん。今のところ。
前者の方は、まだ簡単。
ないと思ってるわけやからw
なので、今の自分に観念すりゃええだけ。
「ない、なかった」と思う自分(劣等感)
責めずに許してしまえば、
ずっと「ないと思う状況を自分が作ってた」と気づいて腑に落ちる。
腑に落ちたら、普通になってまうから
いちいち「あるんやー」と
確認しなくなるんよなぁ。
だからたまに
「思い出せ!」という出来事が
起こるのかなとw
後者は、本人の「実は無い」と
思ってる自覚が無いから厄介やなぁ。
後者の時は、
褒められた時から、本来持っていた劣等感を無いことにしてしまって、
逆に褒められた優越感を利用して、
本音の自分は実はまだその劣等感を
許してないのに、
他人からの承認だけを頼りに
意識の自分が無理矢理
自己肯定してるのに気づいてない状態。
例えば、誰かに
「⚫︎⚫︎が出来てすごいねー!」と
褒められて、実は自分はまだまだやと
思ってる事(いわゆる劣等感)を
「自分はすごいって言われたから実は凄いんだ!」と、他人承認を根拠にして、
まだ許せてない劣等感をないことにして
無視するようになってる状態かと。
最初はそれでええねん。
劣等感の裏側を褒められたわけやから、
まずは肯定する作業をするのは
必要なことやねん。
だから、
褒められた事は素直に喜んでいいねん。
でも、そこで、
褒められた裏側の事(劣等感になる部分)に気づいて向き合う必要があるねん。
「ない」と実は潜在的に思ってた事を
知る必要があるねん。
それを認めて許して初めて
腑に落ちるんやなと思うし、
その時が、
褒められた事、つまり、
憧れとか夢が現実になってる状態
やと思うねん。
劣等感ってのは、無くならんし、
新しい事にトライした分だけ
必ず成果や優越感とワンセットで
生まれるものやと思う。
第一、劣等感が必ずしも
悪いもんやないし。
劣等感の持ち方、使い方と
違うんかなと思う。
で、そんな劣等感を認めるゆるすまでの
感情を味わいきるプロセスがしんどいから、
褒められた事を、
「受け取った事」にするんかなーと。
こんな時は、結構な率で、
「自分もそうなんだって受け取った!」と
聞いてもないのに言うてまわる。
「受け取ったっ!」と言う単語を
ワザワザ言う時点で
受け取ってねーんだよなぁwww
ウチも受け取り切れてない時は
いうてるなぁーと思うw
で、ワザワザ受け取ったと言うて、
再び色んな角度からその事を褒めてもらって、共感してもらって証拠を周りから集めようとする。
はじめはいいのよ。まじで。
ただそれをずっと糧にしてると
痛い事になるっちゅー話。
それが好きならいいけどねw
ウチは嫌だwwww
ちょっと前の記事を見てると、
そーゆーところがある。
我ながら痛いねぇwwww
はははははwwww
まぁ、良い( ̄▽ ̄)
今はしてねーしw
今は、自分の中で精査して、
自分がカウンセラーになった時に
過去を忘れないため、
自分が掘り掘りした当時の感覚とか
感情を忘れないためと、
それのプロセスを忘れないために
書くようになった。
自分が納得するもん以外は
書きたくないのよねー( ̄▽ ̄)
別にどう思ってもらっても
そこはいいのよねー( ̄▽ ̄)
だから
共感してくれたら素直に嬉しい。
共感できない!っていわれたら
素直に悲しいなーしかない。
自慢は「周りからの賞賛」だけを使って
自分を手っ取り早く高めるために
使うもんやと思うのね。
自慢が悪いんやないねんけどな。
ウチも自慢はしたけりゃするしw
それが必要な時もあるねんから。
ただ、いつまでも
それに気づかないのは、
ウチ的には痛い。
そーいや最近、
一つだけ変わったんは、
自慢する相手は選ぶようになった。
(不特定多数のSNSとかブログは別よ。相手が無視したけりゃできるものやから)
自分が自慢したい事(劣等感だった部分を褒められた事)を
本気でやってる人やなーと感じる人には
絶対やらなくなった。
(本気かどうか選別するのはウチの判断で)
自分が劣等感も許して
腑に落ちたもんを褒められたら、
その時は逆に、
本気の人にしか自慢しなくなった。
いいでしょー♡的な。
それは素直に楽しいし、
嬉しいことやからね。
それやったら、本気の人にいうた方が
拗ねて取らない(とウチは思ってる)から
自分が面倒くさく思わずに済むし。
仮に拗ねてとられても
そういう人は必ず自分に落とし込んで
自分をちゃんと見つめる材料にしはるし♡
自分が逆でもそーする。
はい!はい!次わたし!ってw
で、そーゆー本気の人たちが
ちゃんと自分と関わってくれる
縁や機会があるのが凄くありがたいわ。