乱痴気忘年会の翌日は
友人とサシ飲み忘年会。
1人でビール1ケース飲み干す
酒豪に敬意を込めて、
前から分かってたことやけど改めて
「アホか笑」と痛烈に思った2017。
(ウチの中でアホかは最上級の誉め言葉)
飲んだ残骸(笑)
どこにいくんだろう?
あの飲んだ酒は…笑
ウチが1本飲む間に4本は飲む酒豪ぶり、
うらやましい限りッス(笑)
タロってデザれるカウンセラー
シバトモです♪
まいどヽ( ・∀・)ノ
自分の「キャラ」って
作るものでもなければ
誰かになりきる事でもない。
キャラって、
その人の生き方の表れ
だと思うんで。
作るものではないなと
超個人的に思う。
その目指すキャラが
自分の特性や性格・好みに
バチっとハマってれば
いずれは自分らしさが伴った
独自のキャラになってるかもしれん。
その場合、
自分には自覚はなくても
自然とそのキャラを求められるし
自分も自然にソレで応えていたりするし
それが楽しくてしょーがなかったりする。
その過程で、
じわじわと自覚していくもの
やなと思う。
今の自分に根本的に合ってない
キャラ作りは、
自分の中に劣等感と罪悪感しか
生まないものです。
なんでかっつーたら、
等身大の自分と乖離してるから。
人の罪悪感は、
等身大の自分と表面的な自分が
乖離する時に生まれていく。
本当は「辛い」と思う事を、
それが面白く見えるからとか
それがスマートに見えるからとか
それが素敵に見えるからとか
その方が得だからとか
そんな表面上の理由だけで
自分の姿を作ったところで、
自分をいじめることと等しい。
それに、
作ったキャラは、
作り続けることでしか維持できんし
維持する事をやめてしまった時点で
あっさりと終わってしまうもの。
所詮、
生き方が表れた姿ではないから
脆いものなんすよね。
(それが好きならそれでもいい。誰も止めはしない笑)
よく、心のしくみとかで、
「自分に無いものは見ないように、反応しないようにできている」
なんて事をいいます。
例えば、
明るくサッパリしたキャラが
好きでそうなりたい場合、
確かに「明るくサッパリした部分」
は自分にもある。あるから目にとまるし
自分の中にあるから反応するわけ。
なんだけど、
だからって、
その部分をいかんなく発揮できるか
どうかは別問題なのですよ。
自分の未来の姿を見ている場合もあるし
実は自分という人間は、
そういう人に活かされる側なんだと
いうお知らせかもしれないんすよね。
仮に、
今の自分は真反対の
暗くてネチっとしたところが多い場合、
明るくすればするほど
サッパリさせようと
すればするほど、
自分も痛いし
周りにも痛く映る。
「明るくサッパリした自分」を
罪悪感無く出したいなら
まず、暗くてネチっこい自分を
ゆるす必要が伴うんですよね。
そうなりたいって事は、
「今はそうではない」という
前提の現れでもあるわけだから。
今の現時点の等身大の自分を
受け入れる、存在をゆるすって、
自分らしく生きる基礎の基礎なのでね。
だから、
今、自分の姿ではない
「好きな姿」の場合は、
まずは今の自分でもいいんだと
そんな自分ではないけど
それでもしょうがないと、
受け入れる必要があるのです。
暗くてネチっこい部分を
隠すためにいくら明るく振る舞っても
いくらサッパリいこうとしても
逆効果なんですよ。
これって、
結果的に暗くてネチっこい自分を
暗に否定してるだけ。
自分を否定してる間は、
素の自分を否定することと同じだし
それは罪悪感を生む元です。
暗くてネチっこい自分でもいい、
そんな自分を隠さずに出していい、
それでバカにするヤツはほっとく、
それでも私は私である。
ここを認める事が
ここを無い事にしない事が
ここを自分の中だけは曲げないのが
自分のゆるしに繋がるんです。
そして、
そういう自分をゆるして
罪悪感が薄らいだ頃
勝手になんかしらんけど、
「明るくてサッパリした私」を
認めてくれる人が現れるか、
ネチネチした暗い自分のままでも
周りが明るくサッパリした人が
集まって、自分を生かしてくれる。
そんな自分のままでも
何の負い目もなく楽しんで生きれる
ようになっとんすよ。
不思議な話だけど、
ほんとこれはマジです。
これが、
自分のキャラといえるものだと
思うんですよね。
自分のキャラは、
今の自分を否定しない事で
自然と形成されていく。
そして、
それを「キャラだ」と感じるのは
周りが感じる事。
周りが自分を見て感じた
結果でしかないのだ。
本人はせいぜい、
その結果の証拠を見たり聞いたりして
自覚する程度です。
自覚は、独りでは無理だし、
証拠を見えるように
しむけるものでもないしね。
(これは欲しがりといいますw)
自分の好みのキャラに
なりたいのであれば、
そしてそれになれてない
自分も認識してるのなら、
一旦、そのキャラになる事を
あきらめてみるってーのは、
実は、終わったようで、
そのキャラへ変貌する始まりか
そのままの自分で楽しく生きる始まりか
どっちにしても新たなステージの
スタートなのだ。
どっちにしても、
豊かさに繋がるという(笑)
上記は、自分の経験上の話で、
ウチも同じ事を経てきたんすよね。
今の自分の姿って、
人から見たら色々あるだろうけど、
概ね言われる事は共通してる。
そこの細かな事はおいといても
言われる特色を総合すると、
昔になりたくてもなれないなーと
思ってた人のキャラに
ウチの変えようが無い性格が
混ざったような感じなのだわ。
これ、そうなりたい!って時は
どれだけ頑張ってもそうは
見えてなかっただろうと思うし、
そうなろうとすればする程
よく叩かれました(笑)
けど、そうでない自分でも
もうしょーがねーなと
思い始めたくらいから、
少しずつ、
なりたくてなれなかった
あの姿みたいなもんに
なってたみたいっす(笑)
(他人から色々聞いた話を総括すると)
そして、
どうしても無理であきらめたことは
そこが得意な人に囲まれる事になって、
めっちゃくちゃ助けてもらえますし
自分のままでお互いが活きるというか。
今時点の結論として、
この生き方が凄く楽だし楽しいし
ありがたいわー!って思うことの方が
圧倒的に多い。
目指してる時の方が
圧倒的にしんどかったな(笑)
しんどかった、ってのは、
目指すのやめて始めてわかった
ことなんすけどねー(笑)
捨てると手に入る、は、
こんなところにも通じますな( ̄▽ ̄)
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