降雪の中のゴルフ、
ナメてました(笑)
これが(前半)、、、
雪国!(後半)
ゲレンデだと完全防水のウェアと
グローブにシューズやし
雪降ってても気になりませんが、
ゴルフはどっちかっつーたら
防寒メインのシューズにウェア。
寒さと冷たさでたまらず、
レインウェアを上から羽織り
農家系スタイルに(笑)
雪上のパーパー子♡
友人マドンナはパーのほうだといって譲りません笑
おかんからのもらいもの防水ウェアと
一緒に回ったマドンナの防水ボトムを
ウェアから羽織ったらピンクだらけ(苦笑)
誰や?笑ったんは?
(΄◉◞౪◟◉`)
自分でも後で写真見てクソ笑ったけどw
タロってデザれるカウンセラー
シバトモです♪
まいどヽ( ・∀・)ノ
トラブルや想定外な事なんて
どれだけ避けようが避けまいが、
起こる時に起こります。
どんな生き方しようが
避けられない事でもあるワケです。
事が起こる事そのものに、
正しいも悪いもクソもないのだ。
交通事故みたいなもんです。
どれだけ自分が安全運転して
マナーを守っていても、
事故に巻き込まれる事もあるし、
運転荒くてマナー悪くても
事故らない時は事故らない。
トラブルや想定外な出来事も同じです。
(ラッキーな事も同じやで)
起こった事象に対して、
ムカついたり悲しくなったり
色んな感情が起こるのは当たり前ですが
つまずきを覚えるくらい
悪化したり悩んだり
問題視する原因は、
「私は正しい」
この概念に「縛られて」いて
自分の正しさを「証明したい」と
思って「自己正当化の証明」を
するときだと思います。
(当社比)
同じような自己正当化証明を
したがる者同士でモメてこじらせるか
自己正当化の証明をしたい思いが
強い方が、優位に立とうとしたり
優位に立てないと逆恨みしたり。
これほど自分のエネルギーを
消耗する行為は無い。
別に、「私が正しい」と
思う事は普通の事です。
正しさとは自尊心。
どんな人でも必ず持っています。
ここを無くす事は不可能です。
自尊心⇒自分の人格を大切にする気持ち。プライド。(web系の辞典から)
で、その上で、
↓ここめっさ大事↓
「正しさ・自尊心」は
自分だけのもの。
自尊心とは自分の「好き」に
必要ではあるけども、
「いい人にみせる」だとか
「自分の弱さを守る」などの
周りや環境に対する『保身』には自尊心なんて不要だし、
自分の「好き」「快適」等の正しさは
受け入れられない人にゴリ推しして証明する・コントロールするものでもない。
自分の「好き」「快適」等の正しさは
やっぱり要らん、と改める場合、どこまでも「自分のため」にだけする。
言い切りますよココ。
(当社比な話なので)
めっちゃくちゃ大事だから。
先に結論ココで示しておく(笑)
自尊心(自分の正しさ)は
大事にしていいんです。
但し、自分の中だけね。
自尊心とは、
自分の人格をつくるもので、
「好き」「快適」「心地よい」
「哲学」「思い」という
自分の持つ「正しさ」。
自分の中だけで大事にするとは、
恥をかこうが
バカにされようが
さげすまれようが
非難されようが
コケにされようが
損しようが
嫉妬されようが
自分は一番自分の味方するという事。
誰にどう思われようが
そんな自分でもOKなんだわ。
OKを出すには、自分の自尊心部分を
自分がゆるさないと始まらない。
ゆるしたければ、
間違ってるかも
悪いと思われるかも、
正しかも、
正しくないかも、
損するかも、
ズルいと思われるかも、
などを感じて躊躇してる事を
どんどんやるしかないわな。
そういう自分に付き合ってあげる事で
少なくとも拒絶してる事にはならん。
拒絶しないでいる事が
いつかゆるしに繋がるのだ。
自分の正しさを証明したいって事は
「正しくない時の自分を否定」
つまり「ダメと感じる自分の否定」
してるって事。
正しかろうが正しくなかろうが
色んな自分を否定するような
矯正行動や自己正当化しない事が
「ダメな自分を受け入れる」事になる。
自分が自分の正しさに
損得なく味方をするから、
周りのそれぞれが持つ正しさも
尊重してあげたくなる。
これは自分の中で正しさを尊重する
大切さを知ってないとできない。
相手がそこまで大切にしてるなんて
思えないからね。
こんな同じエネルギー同士が
周りにも集まる。
離合集散を繰り返しながら。
これは
類ともの法則。
同じ波動・エネルギーが
引き寄せ合うのがこの世の原理。
だからもし、逆に、
今の人間関係が生き苦しい場合は
自分がその息苦しい環境に合う
正しさを大事にしてるって事になる。
(無意識に発動し続けてるという意味)
周りを変えようとか
上っ面だけ自分を変えて見せようとか
そういう事して「自己正当化」を
はかるからそういう息苦しい事に
なってるんですわ。
↑こういう↑考えを捨てて
自分の「好き」「正しさ」を
根本的に見直して自分が誰よりも
それを大切にする覚悟は、
豊かで心をひらいた生き方には
必要不可欠なんすよ。
正しさ・自尊心を「保身」に設定したり、
自分の正しさを証明したくなる
ところにそもそもの原因があります。
お馴染みの「罪悪感」「恥」。
これが心にこびりついてる時、
都合が悪い事態になったら
色んな形で表れる。(劣等感とか)
で、↑ココ↑を感じたくないがために
「被害者」になってしまう、
というのが人の心のトラップなのだ。
その罪意識だけでも苦しいのに、
それを無意識で逃れられる
手段として被害者側に回って、
時には、攻撃する事の正当化を
している状態が「加害者意識」。
(根底は被害者意識から来る)
「自分以外の何かのせい」
「私は悪く無い」
「私は間違ってない」
「私が正しいのに」
「私ばっかり損する」
こんな思い。
この思いがあるから
「私は正しい」を証明したくなるのだ。
自己正当化したくなるから、
それに対する反発や軋轢が
加速する。
んで、冒頭に書いた、
問題や悩みに発展していく。
悪循環
(΄◉◞౪◟◉`)
被害者やめるのに
手っ取り早いのは、
自己正当化するような事を
片っ端から放棄する事。
これに繋がる事を
具体的に書くと、
さっき書いた
「好き」「快適」「心地よい」
「哲学」「思い」という
自分の持つ「正しさ」を、
恥をかこうが
バカにされようが
さげすまれようが
非難されようが
コケにされようが
損しようが
嫉妬されようが
自分が一番味方するという事と、
それで味方しまくってみて、
やっぱり間違っているのかも?と
思ったら、
恥をかこうが
バカにされようが
さげすまれようが
非難されようが
コケにされようが
損しようが
嫉妬されようが
とっとと
「好き」「快適」「心地よい」
「哲学」「思い」で間違えたと
思ったものを放棄する事。
これでワンセットです。
でね(笑)
これが出来ないから
ここに勇気出ないから
心の事学んだりしてるんだと
思うんやけーどーもー(笑)
残念!
(´・ω・`)
どれだけ過去を癒そうが
今を癒そうが、
自分の思い込みや
前提を発見しようが、
結局行き着くところは、
恥をかきそうな事
バカにされそうな事
さげすまれそうな事
非難されそうな事
コケにされそうな事
損しそうな事
嫉妬されそうな事
こんな事にいきつきそうな事を
自分が選択してやっていくしか
ありませんねんわ。
失敗してもいいから、
何度でも何度でも。
癒されなくて責めてた過去も、
そんな過去を作った自分の
思い込みも前提も、
これらを逃げてたからこそ、
なんすから。
今までこの怖さを避けようとしての
今の仕上がりなんだから、
ここでまた同じ事繰り返しても
まあ好きでやるならやりゃいいけど、
イヤならいつか根性決めるしか
仕方あらへんので。
怖いでしょうけど、
ここの怖さだけは取ろうとしても
取れないんよな。
怖いと思うその心こそ幻想なんだから。
幻想は、怖い思いをしてでも
現実に踏み込んでみないと
消えることはないのだ。
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