ご近所カフェでの一コマ。
同期テアモのお店に顔を出したら、
タロってデザれるカウンセラー
シバトモです♪
まいどヽ( ・∀・)ノ
秋あたりからずっと
かなり深くにあった自己否定に
関連するようなものがさらに
浮き彫りになっては手放し、を、
繰り返してきて、
ここんところウチの心の視点も
何だか変わってきつつあります。
損得が前以上になくなってきて。
それにつれ、ほんのり浮かんだ事の
そこへズバー!っと到達する
道筋や流れや結果が表れる
早さがハンパなくオモロイので、
ちょっと引き寄せについて
書いてみたいと思います。
『思考は現実化する』という
あまりに有名な言葉もありますが、
引き寄せとは「思考」が
肝心な要となるんですが、
この「思考」って何を指すかというと
「前提」「強く信じている事」です。
普段「こうなったらいいのになぁー♪」
なんて思ってる「自覚できる思い」
とは違います。
「こうなったらいいのになー♪」と
「思わせる前提」の方です。
引き寄せとは、
特になにか幸せな事を
引き寄せるための
手法やそんなものではなく、
毎瞬毎瞬絶え間なく起こるもの。
ここまではよくきく話。
で、ウチの経験で思う所は、
引き寄せってもの自体は
日常の現実の事であって、
特にギャースカいう事では
ないと思うんですね。
引き寄せた!と思う
自分がいるだけで、
別に目の前の現実ってのは
ただ単に起こっている事
やと思うのです。
で、
引き寄せただの何だの云々より
その現実をどう解釈するか?が
本質として大事な事だと
思うのでやんす。
先述した「こうなったら」の部分に
自己否定が込められているか否かで
目の前の現実の感じ方は大きく変わります。
自己否定が込められている場合、
前提は「こうなったら」とは
真逆ってことになります。
だから、
「こうなったら<いいのにな>」
なんですよ。
↑これ↑が暗に自己否定になってる訳。
同じ流れや現実が来たとしても、
自己否定がこめられている場合と
そうでない場合は、
180度感じ方も異なります。
例えば、
「投資してみないか?」と
お誘いが会った場合、
自己否定が強い場合、
その話に対しての損得に
目がいきがちになります。
コレ以上、
自分を否定する思いをしたくないので
自分を補う何かを常に求めるので、
損したくないのです。
自己否定が薄い場合は、
話の本質や、話をくれた人などに
目がいくことになります。
別に、
損得関係ないんですよね。
自己を否定してないから
自分を何かで補う必要が無い。
だから、気分や好みで選べる。
上記の例えのように、
同じ話でも全く違った解釈に
なってしまうのが前提であり、
その前提を亡き者にしようと
する願望を抱く時に、
自己否定は起こるのです。
自分の解釈によって、
目の前の現実はどうとでも
変わっていくもので、
何か物質や願いそのものを
引き寄せる事だけを引き寄せと
呼ぶのではないのです。
で、
仮に引き寄せたとして、
引き寄せたからって
終わりじゃなくて、
乗る・乗らないから始まり
それをどうするのか?
得たもの・事をどう使うか?
これも全て、
前提からの判断になります。
前提対して自己否定があると
ブレるのは当然だし、
ブレるからさらに自己否定が
現実となってしまう。
ここを不幸だと思ったとしても
それも引き寄せたという事になるし
現実をそう解釈をしたのは
誰でもない自分なのです(笑)
よくこの系の話でも出てくる
「オーダー」も同じでね、
自己否定からの願いを小手先だけで
「そうなる」だの「そうなった」
だの、よくいろんな文献にも
書かれている「そうであるとする」
をやったところで、
まあ、いつかはそれでも
現実となるのだろうけど、
オーダーからの早さは、
比べものにはならないと
この手の話になるといつも思う。
だから、
前提は大事なんやでと
いつも口酸っぱくいうのです。
自分の前提、自分が強く信じる事
しかこの世は現実として表れない。
言い換えると、
前提や信じてる事を通して
解釈してる事こそ目の前の現実、
という事なんです。
例えば、
当時はムカついてたけど、
今振り返ってみると
有り難い事でもあった、
なんて思えるやつは、
まさに心の前提が
当時と違うから感じ方も
違うのです。
同じ現実の解釈が違うって、
これと似たようなものかなと。
伝わったかなあ(笑)
ご参考になれば幸い。
自分の真の前提を知りたい方、
知って新たな前提を取り入れたい方は
いつでもお手伝いしまっせ♪
シバトモのイベントやセミナーの先行お知らせ&優待価格での参加OKな情報が届きます。
★シバトモの色んな活動の概略⇒見てみる★
★シバトモ個別セッション⇒確認★
★シバトモのセミナー・イベント⇒最新の一覧★
★デザイナー(web/グラフィック)のお仕事⇒制作物紹介★